LORNE LANNING of Abe's Origin
【超意訳】ローン・ラニング『Abe's Origin』interview (2020)

ラニング氏のキャリアを振り返る個人史的インタビュー。アート用語と彼自身の言い回しが難解なところもあり、随時修正予定。
文中にたびたび出てくる「IP」は知的財産権の意だが、ラニング氏は一芸術、アートとしての作品という意味合いを含んでいる。ちょうどいい語が思い浮かばなかったので、そのままIPとした。

登場用語:Oddworld Inhabitans---ローン・ラニングがシェリー・マッケナと94年に立ち上げたゲームソフト・パブリッシャー。
Oddworld(ユニヴァース)---ローン・ラニングがゲーム業界に入る前から構想していた作品および世界観。惑星オッドワールドを舞台にした、シャーマニズムとインダストリアライゼーション(工業化)の衝突絵巻。2021年時点で『Oddysee』、『Exoddus』、『Munch's Oddysee』、『Stranger's Wrath』、『New 'n' Tasty』、『Soulstorm』がリリースされている。
エイブ
---Oddworldの主人公。貧弱な奴隷民族だが、精神的な力で抑圧者とその企業から逃げつつ、仲間たちを解放する。
グラッコン---Oddworld世界における支配階級であり資本主義の装置として描かれる。肉体が衰えて個体では何もできないが、資本の力で下層階級を使役する。


Oddworld Inhabitantsを設立し、同ユニヴァースを構想する以前からあなたはクリエイターとして働いていました。若かりし頃について話してもらえますか?   

リアリズム系イラストレーターとして習練を積んでいましたが、その工程の多さに呆れていたんです。1つの作品を完成させるのに100時間を費やしても、得られる報酬は最終的に100ドルばかり。ニューヨークの小さなアパートで一人暮らしていたころは悲惨なもので、この業界でどうやって生きていくかずっと悩んでいました。
ジャック・ゴールドスタインというアーティストの下で働いていたこともあります。彼こそが最初の師匠でした。妥協を許さず、アナーキスティックで、哲学的かつ深く知的なアーティストの考え方を体現していました。アーティストとしての手本であった存在です。
ゴールドスタインのスタジオに出入りするようになったのは、21歳でSchool of Visual Artsを辞めた時のことでした。この頃から、そもそもなぜアートを作るのかと深く自問するようになったのです。私は海軍人の家庭で育ち、早くに両親は離婚して比較的貧しい母子家庭で育った。ゴールドスタインがいるような知的なコミュニティに触れたこともなかったので、アートを生活の手段だと考えていたのです。当時は斧やドラゴンなど、子供が夢中になるものを描いていましたが、それ以上のことは考えていなかった。

当時のアート界の知識人との出会いは、アーティストとしてのあなたにどのような影響を与えたのでしょうか。

アートの世界の知識人とは、アイビーリーグ(合衆国北東部の名門8大学)出身のような、文字通りの知識人です。ゴールドスタインのような真のアーティストとの出会いは、ヴィジュアル・メディアを使った表現方法に広い可能性があるという事実に気付かせてくれた。人生で気にかけていること、または何が自分の認識を変えたのかを芸術に反映させていなかったとしたら、それは何も言っていないことと同じなのです。主張することがないということは、アーティストとして無力とも言い換えられる。かつての私は、この定義に対して「こっちはかっこいいドラゴンを描いてるんだから黙っててくれ」というものでした(笑)。しかし、ゴールドスタインと出会ったことで、そのような知的な考えが私の心に重くのしかかるようになり、作品と自分自身がつながっていないことに気付き始めたのです。私は自分のアートを「クール」であること以上の表現が可能な媒体としてではなく、商売の道具として考えていた。当時の作品は見た目が洗練されていないだけでなく、生活に関連したり、人に興味を持ってもらえたりするような深みや意味さえもありませんでした。

自分の作品に見た目の美しさ以上の価値がないという考えを受け入れるのは簡単ではなかったでしょう。

油絵のための釉薬の使い方を追求していた時のことですが、ゴールドスタインに呼び止められて「技術ではなく、そこにアイデアがないことこそが問題だ」と言われたのです。心にナイフを刺されたようで、これまでに言われたことの中で最もショックなことでした。偉大な詩人、作曲家、映画監督、画家は皆、自分にとって本当に意味のある問題を作品に結びつけ、情熱をスパークさせているのです。人々にとって意味のあるものを作るということ、それこそがアートなのです。アートの役割とは、語ることが難しく、中へ入っていきづらい問題への扉を開くこと。少なくとも、優れたアートはそうです。
アレックス・グレイというスピリチュアル・アーティストがいて、彼によるエネルギーを放射する標本のイメージはあらゆるヨガの本の表紙を飾っています。彼は著書『The Mission Of Art』の中で、アーティストの意図、世界との関連性の投影、彼ら彼女らがどのように歴史を変えてきたかについて語っています。この本を読んだことで、自分がかっこいいと思うものや見栄えのするものを作ることだけではいけないと考えるようになりました。これ以降、自分が人生で深く悩んでいることや、自分たちが探して見つけられるかもしれない問題の解決策を作品と結びつけるようになった。私にとってアーティストの使命を理解するための大きな一歩でした。 

当時(学生をやめて修練を積んでいた時代)辛かったことは何ですか?アートを通して何に至りたかったのか?

昔の話になりますが、私はニューイングランドの寒冷地で混乱した幼少期を過ごしました。 寒さというのは心に染み込むものです。 貧乏で寒いのは本当に辛い。
しかし、私は自然の中にいることで、心の葛藤を癒すことができました。 ニューイングランドでは自然がとても身近にある。森や川へとよく出かけたものですが、あらゆる場所が生命力にあふれていました。他の場所では得られない多くの慰めと答えを自然から見つけていたのです。
初めて『スターウォーズ』を見た時、特に画面にヨーダが登場した時は「この映画は自分にとって大切なものになるだろう」と思いましたね。万物が繋がっているという「フォース」のアイデアには衝撃でした。フォースの概念はこの惑星に生きる我々にも通じることであり、人類は自然からいくつものセラピーを受けているようなものだと考えるようになった。今の酸性雨が降り注いでいる世界では、荘厳な湖は見た目こそ透き通っているかもしれないが、棲んでいる魚はすべて死んでいる。これらの出来事が私の心を痛めていました。自然からたくさんの愛を見つけ出し、蛇やカエル、魚たちがいかにして生きているかを見ることで問題の解決法がわかるかもしれないのではないか。純粋すぎる考え方に聞こえるかもしれないが、当時から本当にそう思っていたのです。人生に打ちのめされ、自分はこの先何も生み出せないとも思っていましたが、座り込んで地面を見てみると何千ものアリたちが協力して巨大なキャンディを削っている光景が目に飛び込んできました。それぞれの個体が相互に繋がることで一見不可能であることを実現していたのです。なぜ人はこれと同じようなことができないのだろうか?70年代と80年代はそんなことを考え続けていました。自然破壊は改善するどころか悪化し、黙示録のような未来を生きている気にさせてくれた。

あなたには芸術的な技能があり、自分が欲する、または表現したいこともわかっていました。しかし、その2つを1つの表現として落とし込む方法に見当はついていたのですか?

私は写実主義の絵を描いていましたが、ある時アートにはもっと多くの表現があることに気づきました。 アート・ギャラリーの世界で受け入れられているものを見て、いまや過去の世紀を通じて行われていたような方法ではアートの世界を変えることはできないと考えていたのです。 前世紀のギャラリーにおけるアヴァンギャルドとは、物議をかもし、当時としてはタブーとされていたことを示唆していました。 テレビもラジオも無関係で、 ギャラリーにあるアートが新聞の一面を飾るニュースになっていたのです。 でも、そんな時代はとうに過ぎ去ってしまった。 新しいメディアの登場で物事はより商業的になり、何よりもエンターテイメントに焦点が当てられるようになりました。 ニュース放送やソープオペラなど、この種のものは人気がありましたが、ほとんどは浅はかなものでした。 しかし、新しいメディアからは、歴史的には芸術とは見なされていなかった魅力的なものが生まれてくるものなのです。 映画を例に挙げると、『メトロポリス』をはじめとする初期の白黒映画を作ったフリッツ・ラングは、美術館のために作った美術品よりも大きなインパクトをスクリーン上で与えていました。 20世紀末に近づくと、伝統的な芸術とはエリートのための言語となってしまい、大衆にはまったく伝わらなくなっていると感じました。

あなたの芸術的なエナジーがファインアートよりも動画やオーディオ・ヴィジュアルの分野にふさわしいと思ったのはいつごろですか?

映画に対しては、ファインアートの作家たちが成し遂げようとしているようなインパクトを与えることができるメディアとしての魅力を感じていました。映画作家たちは、社会の課題とマスメディアの高尚な芸術との出会いにおいて、最高の議論の場を提供する存在となったのでしょうか。 それは絵画以上に多くの人々に影響を与えているのでしょうか? ルーカスは、フリッツ・ラングは、フランシス・コッポラはどうなのか?これこそが私が映画について真剣に考えるきっかけでした。 たとえ重要で意義のある絵画を作ったとしても、誰がそんなことを気にするのか? お金持ちがストックするために買ってくれるだけです。私たちは60万円の絵画を作っていましたが、誰かが300万円の絵画を買っても、それをクローゼットだかにしまうだけの光景を見ていました。 エリート層が現実世界に影響を与えないことに夢中になっているのに対して、映画は大きな変化をもたらしていたのです。 現実に影響を与えたかった一人の若いアーティストとして、私は絵を描くことから映画を作ることに移ろうと考え始めた。 より深い理解を得るためにカリフォルニアの学校に通い、ヴィジュアル・エフェクト(VFX)の世界に入りました。

あなたがカリフォルニアへ映った頃でも、VFXとコンピューター・グラフィックス(CG)は依然として映画やテレビ業界の先進性に関わっていました。この業界を覗いてみた時の印象はどうでしたか?

今でもその二つの業界は活発です。私が最初に足を踏み入れた80年代中頃は、まさにVFXやCGがエンターテインメントの新たな主流になりつつある時期だった。『ラスト・スターファイター』はまだ公開されていなかったころです。この映画のエフェクトのプロデュースを手がけていたのが、後のOddworld共同設立者であるシェリーなんです。それにしても3Dコンピュータグラフィックスには驚かされました。 画家としてフォトレタッチをしていたころ、モデルの顔のニキビを2、3個取って描くことで100ドルをもらったりしていました。 本物の絵の具を使って、本物のカラー写真をレタッチするのはかなり酷な仕事でした。 編集者たちが写真を光にかざし、レタッチした部分を探し出してはそれを指摘してくるのですから、技術的にも大変で自分でも辟易するほどでした。当時、誰かがThe CarsのMVを作った制作会社Chalexに連れてってくれました。CGを使ったMVを見たのはあれが初めてでした。
ある時、レタッチ作業中の写真の肌色が合わず、一晩中起きていました。 絶えず失敗していて、色を出すためにアクリルとインクの正しい色調を混ぜるのに一晩中かかったんです。実に惨めな仕事でした。 翌日、疲れきった状態でCharlexに行くと、スクリーンに映し出されたモデルの写真を見せられ、クライアントが望まないホクロが肌にあることを指摘されました。彼らはスクリーン上の肌に触れるだけで、ほくろを取り除いた。 自分が一晩かけてやったことを目の前で一瞬でやられたため、もうこの仕事が出来なくなるんじゃないかと怖くなりましたね。 コンピューターにはまだ開拓されていない可能性があるのではないかと考えるようになり、CGへと意識が移っていきました。 当時、最もホットなグラフィックの仕事をしていたLAのスタジオに就職したかったのですが、採用には至りませんでした。

進路を改めて決めた後、軍事開発の会社に就職したんですよね?

どこかの時点で自分に嘘をついて、私は人工衛星やハイテク兵器の開発に従事するTRW社に就職しました。軍事産業に反対で、戦争の類が大衆に良い結果をもたらすことはないと信じていたにもかかわらずに、です。当時はロナルド・レーガン政権で、まだベルリンの壁があった時代でした。そこで私は自分のモラルと対立することをやっていたのです。リベラルで反戦だった私ですが、クレジットカードの返済のために働かねばならなかった。社内で電話ごしに仕事を頼まれた時も、道徳的に反する内容であろうと実行していた。私は直接兵器を作る仕事ではなかったが、開発に役立つイメージを研究する類の作業にあたっていた。当時の私にとってCGの仕事とはこれしかなかった。航空宇宙業界で働いていたことで、ツールやテクノロジーの全く別の使い方や、グラフィックがどのように影響を与えるかを見ることができました。ただ、優れたグラフィックを作りたかったはずが、科学者たちの前に座る4人の小さなグループの一員になっていたのです。 科学者たちは私たちに仕組みを説明し、私たちが映像化して国防総省の将軍たちに見せれば、これらの兵器システムにゴーサインが出されるというわけです。将軍たちは45秒の映像でないと、話されている内容が理解できない。私は歴史上のアートが世界を変えてきたことを実感し、CGがこの先の世界を変える力さえ持っていることを理解したのです。

CGとそれにマスコミュニケーションが、これほどまでに大きな影響力を持つことになると思いましたか。

TRWにいた頃、アップルが「1984」というコマーシャルを作りましたが、あれはすごかったですね。当時の技術の進歩のあり方を変えたものでした。30秒と少しの広告だがとてもインパクトがあった。ジョブスとリドリー・スコットのコンビで作ったと考えたら当然かもしれないですが。今でも、あの30秒のコマーシャルは会社の株価を一夜にして変え、コンピューター革命の進歩も大きく後押ししたものだと考えています。

『スターウォーズ』もそうでした。映像における重要なタイミングに登場した作品です。

その通り。あの映画について話すなら説明しなければならないことがあります・・・。
私の両親は40~50年代に育ち、化学による明るい将来を、プラスティックがあらゆる課題を解決するという未来像を見てきました。アメリカに限るなら、それは正しかった。ヨーロッパやアジアのように、戦争による爆撃の修復を癒す必要がなかったからでしょう。ニューディール政策が施行された当時、多くの人が白い柵、プール、BBQなどを備えた自分だけの家を持つ権利を得た。しかし、60~70年代になると有害化学物質への懸念が社会に大きな影響を与えるようになった。ベトナム戦争、核戦争、ウォーターゲートその他いろいろ。暗い時代でしたが、スターウォーズはそんな教会や宗教さえも破綻した世界との精神的なギャップを埋めるほどのインパクトがありました。 『スターウォーズ』は壮観で、人々の魂に響くものだった。 あんなものはそれまで見たことがなかったんです。アートとコンピューターの世界をさまよっている私にとって、大きなインパクトを与えたのは間違いない。
これをきっかけに、マスメディアやテクノロジーを単なる娯楽のためだけではなく、人々やその生活に価値をもたらすような、より深いメッセージを伝える手段として活用でないかと考えました。 『スターウォーズ』には、メッセージと、それを伝える速度、そして魅惑的なVFXが組み合わさっていて、見る者を引き込みます。 この体験は、私にとって、技術を通して人生で大切にしたいことを世に送り出すための精神的支柱となりました。自分が抱く苦しみを、カタルシスを得られるような方法で外に向けて表現したいと思ったし、自分と同じように苦しんでいる人たちの助けにもなりたいとも思ったのです。当時、 私は家庭を作っても子供はいらないと考えていました。なんてことない理由です。魚がすべて死んでしまったような世界で子供たちに住んでもらいたくなかったからですよ。

ハリウッドで働いたことについてうかがいます。エンターテインメントの世界では最大手である地で働くことはどんな経験でしたか。

VFXの仕事ではコカ・コーラや『ベイブ』のようなものに参加していました。5年間ほど働き、コマーシャルや500のチャンネルを持つケーブルTVのために、ニュース番組用のラフなカット割りなどを作っていました。当時は自分が思い描いていたストーリーを表現するために映画監督になりたがっていた。その時のアイデアが最終的にOddworldになります。ゲームになるとは思っていませんでしたが。
ハリウッドについて思うことは、知的財産権の仕組みと、それを利用して作品の法的所有権を得ることで生計を立てていたアーティストがいたことです。 スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスは億万長者になりましたが、おそらく歴史上で初めて、アーティストが自分のアイデアで実際にお金を稼げることを示したのです。 そして彼らのお金の使い道もまた刺激的でした。 重要なのはお金を何に使っているかで、ボートや車を何台買ったかではないのです。 スピルバーグがショアー財団(第二次世界大戦時のホロコーストの記憶の継承をかかげる組織)を立ち上げたことを考えると、銀行員よりもアーティストのお金の使い方の方が好きになってしまう。 絵を描くことに終始するのではなく、アーティストが自分のアウトプットをコントロールすることで、より大きなインパクトを与えることができるのではないでしょうか。 彼らは世界に目を向けているからこそ、お金を使って何かをすることができ、世界をより良く、より情報に満ちた場所にすることができる力とスキルを持っているのです。 これは私にとって大変刺激的なことで、何か言いたいことがあるアーティストやクリエイティブな人たちが、アイデアによって世界に変化をもたらすことができる方法だと思いました。

スピルバーグやルーカスのように、既存の大規模な産業と働くクリエイターが自分の作品の所有権を保持することは現代でも稀なことです。

稀なことであり、それが最終的にハリウッドに対して幻滅する理由でした。なぜならば自分のIP(知的財産)を所有することはないからです。 自分で持っていなければ、それを活かせるわけがない。 給料は高くても、自分のアイデアを最大限に生かせないのです。私はハリウッドにコネがありませんでした。 そして、それはハリウッドにおいては幸運なことなのです。ハリウッドは一連のカルテル(企業連合)のようなものですから。 ジョン・シングルトンのように、何もないところから生まれてきたような人は、ハリウッドではめったにいない。あとはNYUやUSCの映画学科などでできた徒党を組んだ人たちです。ハリウッドでハト派になるのは簡単です。 エフェクト担当としてだけ働くならば特に問題はないでしょう。 だが、アートディレクターが映画監督になる可能性があるとは考えられていない。 同様にサウンド担当はアート担当としては見られない。 そのような先入観がたくさんあるんです。突破しなければならない天井がいくつもあるということです。たとえ素晴らしい脚本を作り、素晴らしい映画を監督したとしても、スタジオがその映画を所有し、最終的な編集を行うことになるのです。 オリジナルの『ブレードランナー』で起こったことを知ってしまうと、自分がリドリー・スコットのように耐えられるのか、それとも壊れてしまうのかわからない。自分が誇れるビジョンを持っていても、マーケティング担当者が入ってきて、自分たちが売りやすいものに近づけるために変更してしまうことを、私は受け入れることができるだろうか? このような疑問や可能性が自分の周りでも起こっていることを考えると、だんだんと業界に幻滅してきました。 ハリウッドは宝くじのようなものだと感じてからというもの、他の表現の場を必死に探していました。

他に、当時のあなたがとれた現実的な選択肢はありますか?

死に物狂いでスティーブ・グレイと一緒にデジタル・ペイント・システムを開発したことは大きかった。後にHeavy Iron Studiosを設立する彼は、私が知る限り最も優秀な人物の一人です。後に中国語を独学で学んだ後、中国のテンセント社のワールドワイド・プロダクションを運営しました。 このペイントシステムのおかげで、それまでなかった映画のデジタルマッピングができるようになりました。 当時はインダストリアル・ライト&マジック社がまだグラスマッピングをやっていたし、アドビ・フォトショップは登場したが、解像度にまだまだ限界があった。
このペイントシステムを使っての取り組みを始めたのですが、自分のドローイングやペインティングのスキルに加えて、コンピューターやフォトサンプリングを使ってモノを作ることが面白いことに気づきました。 『トイ・ストーリー』が公開される前のことですが、映画スタジオの重役たちが取材の中で、コンピュータ・アニメーションでは感情移入できるようなキャラクターは作れないとカメラの前でハッキリ言っていましたね。 コンピューターで何ができるのかということについて、人々の考えにはまだ壁がありました。 ジョージ・ルーカスでさえ「コンピュータグラフィックスはいくつかのショットを作るのには便利だが、映画全体としては機能しない」と言っていました。 ルーカスがILMやルーカスフィルムと提携していたピクサーを売却したのも、そうした考えからでした。

時間が経つにつれて、どんどん重要になっていくものを作ることは、あなたにとって刺激的でやりがいがあったでしょうね。

今日でもCGに目を向けてみれば、これは表現のすべてを変え得る分野だと思えます。撮影のために本物のロールスロイスを爆破する必要はない。作られたそれならばとっても安上がりだ。経済、観客、技術が時間とともに進化していくという考えから、私はCGの可能性に大きな期待を寄せていました。コンピュータを使って絵を描くことは、私がこれまで考えてきたこと、たとえば解剖学的に正しい生物や科学的に正しい植物が生息する先史時代の世界の視覚化を実現できるため、とても興味深いものでした。当初、私はこれらの作品を限定シリーズのファインアートとして販売できるのではないかと考えていました。 白亜紀の海中生物で、できるだけ写真のようにリアルに描いていたものです。
『スターウォーズ』のデス・スターやストームトルーパー、ダース・ベイダーをデザインしたラルフ・マッカリーや、 『ブレードランナー』のプロダクション・デザイナーであるシド・ミードは私の作ったイメージに興味を持っていました。 彼らは私にとって、映画史上最も偉大なプロダクションデザイナーたちでした。
恐竜のイラストレーターであり、映画のプロダクション・デザイナーとしても有名なビル・スタウトも、私のやっていることを気に入ってくれました。彼は私がどうやってコンピュータから様々なエフェクトを実現させているのか興味を持っていた。 今挙げた人たちが私のやっていることに好意を寄せてくれたから、より興奮したんですよ。 1990年か1991年のことだったと思いますが、私が作っていたものを見て、彼らはコンピューターの使い方を学ぼうと思ってくれた。本当に面白い時期でした。
現在、私は9フィートの長さのある自作の絵をどうやって印刷するかを考えています。この絵には9つの微妙に異なる青の濃淡があり、当時、そして今でもそれを正確に紙に印刷することは不可能です。これらのイメージが巨大なシートに印刷されるというビジョンを当時から抱いていた。

そのヴィジョンがあなたをビデオゲームの世界に導いたものだったと。

ある夜、私はLAでマリファナを吸いながら、どうやってその絵を印刷しようかと考えていた。 もし印刷できなければ、そこから先には進めない、とも。
当時はビデオゲームに興味がなく、ウェストウッドにあるゲームセンターで『』を遊ぶくらいのものでした。あれは当時のゲームでもハイテクなものだった。戦後、私の父親は電子機器メーカー(コレコ)のパッケージデザインの職に就いていた。電子機器をより小さなパッケージに収めねばならない仕事です。 父は初代コレコビジョンを手がけていましたが、私はまだビデオゲームに興味を抱いていなかった。
ゲームセンターに通っていた理由は、そこが女の子との出会いの場として最適だったからです。2人用のゲームならいいきっかけになる。その頃の私とビデオゲームの関係は、女の子を誘いやすいのはどれかな?程度のものでした(笑)。 子供の頃は紙を丸める手伝いをして小銭をもらっていました。ニューイングランドの気候は寒かったので、暖を取るために、いつもトラックの休憩所やグリーシースプーン(昔のダイナーまたは大衆食堂的飲食店)に立ち寄っては、25セントのピンボールやアーケードマシンにお金をつぎ込んでいました。だが、ゲームにはそれ以上の思い入れはなかった。

自分の創造がビデオゲームならば実現できると思ったのも、その絵を描いていた時ですか。

はい。話を絵の印刷について考えていた夜に戻しますと、私はジョイントを一服しながら、この絵をどうやって壁にかけるかに悩んでいました。絵の隣には本棚があって、そこにはAtariのジョイスティックか何かが置いてあったのです。「これはなんだったっけ?」と思いながら、頭の中でジョイスティックを手に取って動かしてみると、絵画の恐竜も動くさまを想像できたのです。「なんということか、ビデオゲームは居間に置かれるスーパーコンピューターになるのか」と思いました。このフレーズに私自身が大きな衝撃を受けた。すべてが変化し、すべてがビデオゲームになるということです。良いハッパを吸っていたことも関係あるんでしょうね。 私たちの潜在意識がどのように働いているのか以前は理解できなかったが、今はビデオゲームが私の心の前にあります。それでもすべてを理解したとは言えませんが。

当時は今ほどゲームが当たり前の存在ではありませんでした。どんなことが出来ると想像しましたか。

今でもリアルタイムの3Dグラフィックで描画すればいいのに、どうして絵を描くことに集中しなくてはならないのかと不思議に思います。 リアルタイム3Dグラフィックスとは、ビデオゲーム機の機能を指しますが、この時はまだNES(ファミリーコンピュータ)のことでした。 SNES(スーパーファミコン)はまだ出ていなかった。酔っぱらいながら、絵で見たことをビデオゲームのシステムで実現するにはどうしたらいいかを考えていました。 想像したものを2000万円のシミュレータで動かすことはできても、そんなものは誰の役にも立ちません。  その2000万ドルのシミュレーターが、家庭に置かれるハードウェアになるのはいつのことだろう、 カートリッジの限界を超えてCD-ROMに移行するのはいつになるのだろう、とか。 このような技術がいつ家庭で使えるようになるのか、技術曲線の予測を逆算的に始めましたし、 今でもゲーム市場の規模や、人々が現在どのくらいの時間をゲームに費やしているのかを調べています。

ゲーム業界にはどうやって入っていけたのでしょうか。その時点で何かしらの縁があったのですか。

ジョシュ・ガブリエルという友人がいて、彼はDJやガブリエル&ドレスデンとしても活動しているミュージシャンです。それと同時に、プログラマーでありデザイナーでもある。ジョシュは、私にトミー・タラリコに会うべきだと言ってくれました。トミーはヴァージンのゲーム部門であるヴァージン・ゲームスで働いている男で、真の起業家にして私にピッタリのゲーム業界人だったのです。現在はVideo Games Liveイベントで世界中を回っていますよ。 彼はマサチューセッツ州で育ち、私が住んでいた町で働いていたこともあったため、すぐに意気投合しました。トミーが紹介してくれたヴァージン社の男が私のやろうとしていること、ハイエンドな映像表現に興味を持ってくれた。対して私も、彼らがやっていることは素晴らしいと感じていたので、そのことをより深く知りたいと思ってた。彼らはゲームが実際にどのように作られているかを見せてくれました。 当時では書籍化もされていなければ大学でも教えられていないことです。少なくとも英語圏にはなかった。日本では既にこのようなことが行われていたと思います。
たった56kのメモリでどうやってゲームを動作させているのかを見ています。一方、私たちは何百万円もするコンピュータで映画の24時間分のコマを計算しています。 ゲームの世界の人々は、私たちのハイエンド3D技術に比べて、ほとんど計算能力を使わずにインタラクティブな体験という小さな奇跡を起こしていて、こうしたことに今でも魅了されています。映画の仕事に戻ると、周囲からは「ゲームなんかショボいグラフィック なのに、なんで興味があるんだ?」と言われました。私はグラフィックがショボい理由を「ゲーム業界の人間が担当しているから」と考えていました。映画の世界の人間がやれば素晴らしいものが作れると思ったのです。

ビデオゲームのどこに創造的な感動を覚えたのでしょうか。

自分が作ったものにプレイヤーがどう関わるかという点でゲームが非直線的になる可能性があったからだと思います。 私が考えた方程式は、映画やコマーシャルで1分間の映像を作ると、その1分間は永遠に1分間のままだというものでした。 出力した時点で限界が固定されてしまうのです。 当時、私たちは1分間のコンテンツに100万ドルを請求していました。 2分なら200万ドルです。
しかし、ゲーム会社がやっていたのは、1分間のアセットを作って、それをウォークサイクルなどでループ再生していました。 例えば、左に歩いていたら、左右に15フレーム、永遠にループすることができます。そこにジャンプなどの動きを加えると、直線的なものではなく、一連のアニメーションをコントロールする脳のような役割だと考えるようになります。 そうすると、15分程度の直線的な個々のコンテンツを作ることが、最終的に60時間の体験になるということがわかってきます。

映画の世界の住人は、私がビデオゲームに興味を持っていることが、映画界での素晴らしいキャリアを得る可能性を放棄することと同義だと思っていました。 ゲーム関係者はより忠実な映像のために、映画業界の人間を尊敬していたのですが。

自分の将来は映画ではなくビデオゲームだと周囲を説得するのは、当時としては容易なことではなかったでしょう。

そうですね。 私は、自分の理想を果たせる可能性がビデオゲームにあると思っています。ゲームがどれほど面白いものになるのか、気付いていない人々は多いのではないでしょうか。 ゲームはまだおもちゃの一つとして見られていますし、その範疇にとどまる考え方ばかりされている。 私が考えているのは、ゲームは、多くのキャラクターのストーリーを横断する映画的なIPであり、シリアスなユニバースであるということです。 続編を作る余地のある映画のようなIPを作りたかったのです。 そこで考えたのが、ビデオゲーム業界が3Dの専門知識を持っていないために、まだ作り方を知らないような種類のアセットのデータベースを作りたいということです。 当時の課題のひとつは、ゲームのラグタイムを許容範囲内に収めるために、特定のデータをどう配置するかというCD内マッピングをいかにうまく行うかということでした。 これは当時の大きな問題でした。当時、ロケットサイエンスという会社がこの問題を解決するために雇ったのが、若き日のイーロン・マスクでした。 彼はゲームだけではなく、多くのビジネスのためにCDをマッピングして、どうすれば十分なスピードを出せるかを計算する仕事に就いていた。

理想のゲームクリエイターはいましたか?

私は自分自身にインスピレーションを与え、長期間にわたって集中できるものを作りたかったのです。 映画ビジネスを見ていると、クリエイターが自分の作ったコンテンツに寄り添ってくれなくなっていることに心を痛めていました。 ジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』のように、作り手は自分が作った世界に留まらなくなっていたのです。 小説家やドクター・スースは、自らの作品が彼らにとって重要なものであるため、永遠にその作品と付き合っていました。私もそのような道に進みたいと思いました。
私は自分にとって意味があり、自分がインスピレーションを感じ、他の人にもインスピレーションを与えることができるような深みのあるものを作りたかったのです。 そして、それは同時に楽しいものでもありました。 さらに、私は技術的な曲がり角とその創造的可能性に沿った機会を探していました。 当時はゲームの可能性がビジネスマンに理解されていない時期だったので、普通では得られないような契約が取れる可能性がありました。基本的に考えていたことは、大金があれば自分たちで知的財産権をコントロールするために会社を作れると思っていた。うまくいけば、そのIPを長く、豊かで、面白い未来に向けて育てることができる。 これらの原動力が私をゲームに導き、Oddworldへとたどり着かせました。


先ほど名前が出たシェリー・マッケナに、ゲームの世界に行くことを話したのですか。

彼女は私が出会った中でもっとも素晴らしいエグゼクティブプロデューサーで、金融面やクライアントと制作チームの管理に秀でていた人です。彼女が業界で尊敬と信頼を得ることで、私たちはコケにされたり利用されたりすることがなくなりました。 素晴らしいネゴシエーターです。
Oddworld設立前、彼女に会社を辞めてゲーム会社を立ち上げようと説得していました。 シェリーはユニバーサルスタジオに勤めており、ショーのプロデューサーとして、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のライドマシーンのような、シミュレーターを使ったテーマパークのアトラクションを世界中で作っていました。最終的には、リズム&ヒューズ・スタジオこそが彼女の行くべき会社だと説得し、彼女はそこでテーマパーク部門を統括する副社長になりました。 この頃、私もしばらくはテーマパークに注力していましたが、それは少なくとも短編映画を制作するための手段でした。サービスを提供するだけでなく、コンテンツ開発に集中するためです。 それが本格的なコンテンツ制作者への足がかりとなり、最終的には私が望んでいたことでもあるのです。 このように、私は自分が何をしているのかわからないまま、何か意味のあることをやろうとしているのですが、実際には何もできませんでした。

ビデオゲームこそ理想の領域であるとシェリーを説得するのは大変でしたか。

説得には2年かかりました。ビジネスのアイデアやゲームにまつわるそれに彼女は興味を持っていなかったので、その方向から話すのはやめました。全5部作のストーリー、エイブの物語になるであろうそれらを作りたいと話したのです。
話し合いはハリウッドにあるような豪華な家の、裏のプールサイドに座って日向ぼっこをしているような場面で行われました。 私がストーリーを話すと、彼女は登場人物の魅力に取りつかれて夢中になってくれた。 彼女はこの物語から5本の映画を作りたいと言い、私は5本のゲームを作りたいと言った。「何が違うの?」と返されたものです。 やがて彼女はうんざりして、お金を集められるならゲームをやると条件を設けた。 私もビジネスプランを立てるのを手伝ってくれるなら、それでいいと条件をのんだ。彼女は私を気遣ってくれたのだと思いますよ。そして必要だった350万ドルを用意して、彼女に「お金は見つかったけど、次は取引先と契約しに行かねばならない」と電話口で説明しました。 彼女は「なんてこった」という感じでしたね。 約束したからにはやらないといけないと言ってくれた。 こうして彼女とともにOddworld Inhabitantsを設立しました。
私は世界観やキャラクターを通じて、「Oddworld」のアイデアをシェリーに売り込み、彼女を介して投資家に売り込んだ。ビデオゲーム業界が16ビットから32ビットに移行しようとしていて、それは3DグラフィックスとCD-ROMの時代となり、大規模なプロダクションチームがゲーム業界にも必要になることを説明した。 自分たちが何をしているのかよくわかっていなかったにもかかわらず、投資家を納得させるだけのストーリーを構築することができました。エイブの核心は、偏見を持たれにくいキャラクターの創造にあった。 それは、エイブがどういう意味を持ち、どういう世界に存在するのかということを、じっくりと練り上げていく上での第一の目標でした。

エイブは色々な意味で子供っぽくナイーヴです。このようなキャラクターに偏見を持つことは難しいですが、こうした設定を大切にした理由は?

ある人種に極端な偏見を持っている人でも、その人種の赤ちゃんに同じような偏見を持つことはそうないでしょう。小さくて無害であればあるほど、人は相手を分け隔てしないと思います。エイブの場合は、誰もが持っているようなものを作りたかったのです。 彼の出発点は、私たち全員の出発点であってほしいと思いました。 シェリーはUSCで心理学を専攻して卒業し、神経科学、脳と人間の行動にとても興味を持っています。彼女はいつも「意地悪は学ぶもの 」と言っていました。
遊ぶために、そして共感するために物事が生まれてくるというのは、ほぼ真実だと思います。このような出発点から、言葉は悪いですが、共感には「神聖さ」のようなものがあると信じています。 私たちは、泣くのではなく、微笑みたいという気持ちを持っているのです。 悪いことよりも良いことを見たいと、 苦しんでいる人よりも笑っている人を見たいと思うのです。 しかし、生きている途中でその感性が壊れ、失われてしまうのです。 エイブにはそれを何とか維持しているところから始まってほしかった。 それは変わり続ける世界の中において、エイブを本当に特別な存在にしています。 彼は自分を守るために壁を作らなければならないのです。 (搾取される)動物たちへの共感はラプチャーファームの屠殺場で暮らしていようが、決して失われることはないということです。 エイブは自分の純真さを守るために、否定の壁を作らなければならず、それが動物たちとの特別なつながりを生んでいたのです。

エイブの口が縫われているのは、彼が純真であることの表れなのですか。

はい、だからこそ彼の口は縫われているのです。 工場でマドカンを産むために送られた女王からエイブは生まれた。 鮭と同じで、工場で働くために生まれてきたのです。 そうしないと、マドカンたちは工場で生きていることに抵抗を感じるからだ。
それぞれのマドカンの子は生まれて最初の数週間は女王によって育てられ、その後は彼らが労働するために親元を去っていく。また、ラプチャーファームで行われている動物の殺処分は作業員たちに大きな影響を与え、よく泣く者も出てきた。 工場の管理者たちは泣いているマドカンを弱虫だと判断し、殺してしまう。 1日に50トンもの肉を処理しようとしている工場に、泣き虫の子羊は必要ないと考えているからです。
エイブは動物たちが死んでいくのを見ているのではなく、感じているのです。 彼は自分が恐ろしい場所にいることを知っている。 彼の母親はエイブが泣くと殺されてしまうことを知っているので、声を出さないために、彼が生きるために唇を縫っている。 それがエイブの人生で唯一の人間性を感じる事実なので、彼は決して糸を外さなかったのです。 『Oddworld Soulstorm』はここから始まります。エイブは大人になって、その抑圧の糸を切る必要があると言われます。 彼は自分の声を見つけ、リーダーになる必要があるのだ、と。
母親は赤ん坊を抱きかかえていると思いきや、実は子守唄を歌いながら赤ん坊の唇を縫い合わせている。 その間彼女は泣いている。彼女はただ子供たちに生きて欲しいだけなのだ。

キャラクターや世界観の基礎となるコア・アイデアをどのようにして生み出したのか、少しお話しましょう。 まずテーマや世界観を定義し、そこにキャラクターを加えていくのですか?それともその逆で、キャラクターに魅力を感じてから、そのキャラクターが存在するための世界を構築するのでしょうか?

率直にいえば、両方を少しずつやっています。私がまだお金をもらっていないストーリーテラー志望だった頃、私はいつも短編小説や映画、ゲームなどのさまざまなアイデアを書き留める習慣がありました。 それらのアイデアはすべて、さまざまな状況に置かれたキャラクターと、彼らを独特の世界に配置することに基づいていました。 91年か92年頃、ちょうど3DOが発売された頃、ジェームズ・キャメロンなどがゲームについてインタビューを受けていて、彼が「偉大なゲームは偉大な映画のIPのようなもので、偉大なIPにはユニークなキャラクター、ユニークな世界、ユニークなアクションがある」というようなことを言っていました。当時も今も私はそれに同意します。
 これをジェダイの世界に当てはめて考えると、ジェダイは宇宙に住む侍の僧侶であり、剣と馬ではなくライトセーバーと宇宙船を使うという点でユニークであると言えます。 つまり、ユニークなキャラクター、世界、行動がここにあるのです。優れたストーリーでありながら優れた知的財産ではない例としては、映画『フライドグリーントマト』(1991年)があります。これは優れたストーリーですが、世界観としては何の面白みもないので、誰もがプレイしたいと思うゲームではありません。 ものを作りたいと思っていた私にとって、自分の書いたストーリーがどこに着地するかはわかりませんでした。 ただ、それを構築するための努力は必要だと思っていました。 Oddworld Inhabitantsを設立する前からずっとアイデアを書き続けていたし、その後も書き続けていました。

若い頃は、自分にも他人にも関係のあるものを作りたいと切実に思っていたという話をしました。 Oddworldの物語は、その目標の実現にどのように貢献したのでしょうか?

これらの関連性に関する考えは、私が作り始めたすべてのものに浸透していました。 それこそが、歴史の中でのアーティストの立場ですよね。偉大な画家が記憶に残るのは、必ずしも絵を描く能力があるからではなく、世界や社会のあるテーマに対する見方を変えるような作品を生み出す能力があるからです。その点でアートは歴史を変えるのです。 ジョセフ・キャンベルが人生の最後に遺しています。「アートは最後の大きな希望である。なぜなら、他のすべてのものは腐敗していて、もうそこには真実がないからだ」、と。だから、道を示すのはアーティストにかかっているのです。 少し大げさに聞こえますが、おかしなことは言っていません。 歴史を振り返ると、哲学者やその他の反逆者たちと一緒に検挙され、銃殺されるのはたいていアーティストなのですから。 要するにアートは世界や社会にとって価値のあるものだということです。 ファインアートに限らず、これまで述べてきたような文脈でのアートです。 私たちがエンターテインメントとしてやっていることは、心に届くことなのだから、その作品に、私たちが大切にしているものをもっと絡めてもいいのではないか。 私が集めたストーリーの中には、この地球上で起きていることをより高いレベルで観察するためのインスピレーションを与えてくれるものがありました。 率直に言って、私が書いていたこれらのテーマは、Oddwolrdの基礎となるもので、人類の生存に不可欠なものだと考えました。 それはエイブの世界を推し量るのに良い方法だと思います。 私たち全員の生存に不可欠なトピックを中心に構築されています。 もし貴族がこの惑星を支配していたら、不毛な世界になってしまう。もし太陽が資本主義者だったら、我々はとっくに死んでいる。木々が無料で太陽を浴びることができなくなる(笑)。

環境主義と資本主義、そしてそれらが私たちや社会にどのような影響を与えるのか、議論の明確な出発点となりました。

このような話をしていると、よく「私は反資本主義で活発な共産主義者なのか」と聞かれますが、「そんなもんじゃない」と答えています。 同時に「国旗を渡してくれれば燃やしてあげますよ」ともね。 地球をどう管理するか、お互いをどう管理するかについては、まだまだ成長と成熟の余地がありますね。 キャリアを積んでいる人間として、私は常に資本主義と、地球に今以上の傷を残すようなことをしないこととの間の境界線を見つけなければなりません。確かにOddwoldはリチウムが入ったコンピューターやバッテリーを使っていますが、それらは世界各地で採掘され、中国やインドの賃金奴隷によって組み立てられています。 私はそれらを無視しているわけではありませんが、私たちがやっていることは、実践としてのグリーン・インダストリーとみなされています。要約すると、私たちはたくさんの問題を抱えていて、それらの問題は、私が書いていた物語の束の中で絡み合うテーマになっていました。 未来や過去の話もありますが、多くはオルタナティブなユニバースを舞台にしています。それは過去に見てきたSFやファンタジーに影響を受けたクリエイターとして、私の心を揺さぶるものだったからです。 素晴らしいキャラクターのコンセプトを持っていても、そのキャラクターが何をするのかは考えていない時もありましたが、テーマはありました。 最終的にどうなるかわからなくても、アイデアを書き留めておくことはとても大切だと思います。 これは創造的なプロセスにおいて、とても重要なことです。若い世代のクリエイターには、完ぺきを求めることをやめなさいと言っておきたいです。書き留めたものを完璧に作り上げることを気にするより、とにかく書き留めて次に進むことです。

これらのテーマが一貫して作品に反映されているので、知らず知らずのうちに一つの完成した世界(知的財産にあたるもの)を作っていたのでしょうか?

そう思います。 当時の私は、これらのストーリーやキャラクターに共通点があるとは考えていませんでしたが、1990年頃になって、自分が書いたものの70%はおそらく1つの世界観であることに気がつきました。 ここでの教訓は、やったことを紙に記録して、常に自分のデータベースを組み立てることです。 デヴィッド・フィンチャーなら「アイデアのための農場」が必要だと言うでしょう。 何かを表現する時は、一度に1つしか実行できないからです。 映画の出資者の世界では様々なことが変化し、出資者が信じるものが実行可能となるため、アイデアの農場が必要となり、そこから育て、必要なものを引き出すのです。 ハリウッドはそういうことに長けていますよね。 大物クリエイターたちは、膨大な数のアイデアを持っていますが、その中からトップに立って完成品として具現化できるものは限られていることを知っています。ゲームメーカーはハリウッドよりもリスクを避けますが、中にはそれが得意な人もいます。 私が特定のキャラクターやテーマに集中し始めたとき、私はこのアイデアの農場を持っていましたが、私が思っていた以上にすべての断片がつながっていたため、実際の収穫を得ることができました。 その収穫物が素材となり、Oddwolrdとして実ったのだと思います。

エイブは常にあなたの創造の中心にいるのでしょうか。彼はあなたが描く世界を横断する箱舟に乗っているのですか。

おそらく、 エイブはどちらかというと一貫した力を持っています。 エイブにとっての箱舟は何かと聞かれることがありますが、それは彼がいかに酷い人生を歩いているかということに尽きると思います。 彼にとって事態は悪化の一途をたどっている。 エイブの挑戦は、襲いかかってくるものを受け止めながら、純粋な心と共感を持ち続けることなのです。 『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドのように、堕落に抵抗しながら前進する意志を持ち続けなければなりません。 フロドは、自分を大きく変えるような大きな運命(character arc)を持っていたわけではなく、自分だけが果たすことのできる大きな旅をしていたのです。 エイブの一貫性は、彼が深く抑圧されたものを抱え込む余地をあまり残さなかったので、それを明らかにして克服しなければなりません。

グラッコン族はエイブの基本的な敵役としてデザインされています。その根源はなんだったのですか。

グラッコンは当初、悪役、それも「真の悪役」としての案がありました。偉大な悪役を演じた俳優たちに話を聞くと、彼らは「誤解されているキャラクターを演じる」と言います。 真の悪人は自分が悪人だとは思っていません。 絶対的な悪人であっても、その区別の枠組みの外に存在する何かを持っている、葛藤のあるキャラクターなのです。グラッコンは惑星の頂点に位置する種族ですが、同時にポーンのような存在です。ディランの「しがない歩兵」のようにね。5部作に触れていくうちに、グラッコンは実際に物事を動かしている人たちの駒に過ぎないことがわかる、そんな深みを持たせたかったのです。 彼らが失敗したときに、本当の支配者が誰なのかがわかる。 悪役という概念、その領域に私は入り込みたいと思っている。 現時点のOddwolrdの世界ではまだその部分に触れていませんが、もっと深く掘り下げていきたいです。グラッコンの場合は、電話で机に向かって泣きながら何かを説明している姿を思い浮かべることがあります。 会話の中で彼らは本当に困っていて、何かを言い逃れようとしています。 キャラクターが生き生きとしてくると、それが彼らという存在を濃くしていく材料となるのです。 たとえ私がそれをスクリーン上で観客に示す機会がなかったり、彼らが短いセリフとわずかな登場時間しか持っていなかったとしてもです。そのプロセスがうまくいけば、彼らの多重なイメージが奥行きを持ち、彼ら自身のことをよりよく見せてくれるように反射するのです。 私の場合、悪人については、悪人の本当の姿や、何が起こっているのか、誰が実際に仕切っているのかを明らかにするために、いつも長い時間をかけてデザインしていました。

自分の上層には必ず誰かがいるという考え方は実生活とよく似ています。

現実の世界ではそうなのです。 ニュースを見て、何が起こっているかを知り、自分の運命をコントロールしていると思っている人がいるとしたら、それはとても滑稽なことです。 悲しいことですが、同時に笑えますよね。 この世界を調べれば調べるほど、ニュースは番組を配信するためにあるのではなく、見る者をプログラミンするためのものだと気づくでしょう。 今日のアメリカでは、あらゆる方面からのプロパガンダが大量に流されています。 ニュースに釘付けになっている人たちは、妄想の領域に入ってしまっています。 全く現実ではないのに、現実だと信じることにとらわれているのです。 ソヴィエト・ロシアなどの出来事だと思われていたことだが、これはアメリカで今起こっていることなのです。
私はどちらかの立場に立つのではなく、批判的な観察者でありたいと思っています。 何が起きているのかを理解しようとすることは、とても自由なことなのです。 誰しも悪気なく提示されたものを信じますが、それはとても単純なことなんです。 しかし、我々はそんな素朴さの中で生きていかねばならない。
エイブはプロレタリアートとして飼いならされ、支配者から自国民の歴史やその他のことについて誤った情報を与えられているという点で、ちょっと似ている。今では多くのマドカンが、自分たちは機能不全の階級であり、工場での仕事があることに感謝すべきだと考えている。

ヴィッカーズはOddworldの社会という網目の中で、どんな立ち位置ですか。

ヴィッカーズはグラッコンのような悪役ですが、彼らはとても陰湿なのです。医薬企業のような存在といえましょうか。製薬会社の会長をしていたベンチャーキャピタリストとビジネスをしたことがありますが、彼らは私の目を見て、「私は2つの製薬会社の会長をしていたのでわかるが、彼らは悪党だね」と言い放ちます。毎年何十億ドルもの広告が製薬企業を悪ではないと信じ込ませようとしているが、そのうちの2つを実行したこの男は、これらは内側にいる人々の利益のために出ているわけではないと言ってのける。ヴィッカーズは大手製薬会社にあたる存在で、ナチスの科学者のようなものだ。でも、あんなに派手でわめく存在になるとは予想外でした。 彼らが自分の人生を歩むという魔法の瞬間が訪れたとき、彼らは私が期待していたものとは全く異なる態度を示したのです。ヴィッカーズは善人よりも悪人の方が魔法的な瞬間を与えてくれた例でした。

これだけの悪役がいるのですから、プレイヤーもエイブにシンパシーを抱くでしょう。

もしもエイブが、人間が憧れる純真さ、つまり子犬のような性質を持ち続けていれば、人々は本能的に襲われている彼を守るでしょう。 ジョニー・デップは『シザーハンズ』についてのインタビューで、このユニークな役柄を演じるにあたってどんなインスピレーションを受けたかについて答えています。 彼は、子供の頃に一緒に育った犬からインスピレーションを受けたと言い、何をしても犬はいつも彼を愛してくれる、と。 その犬は子供の頃にからかわれると身を縮めていましたが、決してからかい返すようなことはしなかったというのです。 「それだ」と思いましたね。 プレイヤーはエイブとして、犬の役割を演じているのだと思いました。

コミュニケーションの機能をゲーム上でユニークに表そうとしたきっかけはなんなのですか?

GameSpeakは、私たちが力を入れるようになった自由に使えるツールのひとつです。 1作目の終盤では、当初、エイブは誰も救わずに自分だけが助かり、その後、教訓を得てラプチャーファームに戻って他の人を救うきっかけになると考えていました。 しかし、それではゲームスピークを使うのはゲームの後半になってからになってしまいます。 ゲームスピークは、すぐに人を惹きつけることができるものでした。 エイブの動きなどもかわいいのですが、キャラクターと対話して、相手が自分についてきてくれたりすることで、エイブと他者を結びつけることができました。 また、『Abe's Oddysee』のフルモーション映像のイントロからゲームプレイへのシームレスな移行も魅力的でした。 これは当時から魔法のようなものだと思っていましたし、実際にゲームに移行したときにプレイヤーが「これはゲームなんだ」と感じる様子を実感していました。
今ではそうした移行の演出は少ないですが、それは非常に難しいことだった。それを達成したことで私に強く嫉妬した人がいたくらいです。 私は自分のゲームはもちろん、他のゲームでもそれを見たいと思っていたので、これが特別なものになると信じていました。 それまではシネマ的な映像を見た後にゲーム画面に移行するものですが、両者がまったく異なるものだったのです。このようにハリウッドスタイルで映画とゲームを融合させることは、私たちの定番のひとつです。私がやりたかったことであり、ストーリーを伝える能力を深める方法を探していた末にあみだしたものです。 当時、ゲームにおける深いストーリーといえば、『ゼルダの伝説』シリーズのように、単にお姫様を助けるだけのものでしたから。

ユーザーがゲームにストーリーを求めているかどうかについては、現在も対立が続いています。 ストーリー性に力を入れることへ抵抗を受けませんでしたか?

私たちのチームの中で、映画ではなくゲームのバックグラウンドを持つ人たちは、こうしたストーリー要素に興味を持ってくれましたが、それほど重要だとは考えていませんでした。 彼らが作業をしたのは、私たちがボスであり、ストーリーに力を入れることを望んだことだからです。彼らは、プレイヤーがゲーム中のムービー部分をスキップするものだと考えていましたが、私はそのような選択肢は与えないと言いました。 映画をスキップできないゲームが合わない人は、私たちのゲームをプレイしない、それだけのことです。『Munch』や『Stranger's Wrath』では、ストーリーを強調するのが難しかった。 当時のシネマティックスのレンダリング品質は、3Dビジュアルのレンダリング品質に比べて非常に高かったため、シームレスな移行を実現することが非常に難しくなっていました。 そのため、ゲームエンジンに依存したシネマティックスが多くなりましたが、そのためにリップシンクが悪くなっていたので、キャラクターが経験する非常に感情的なビートを高忠実度でプリレンダリングすることにしました。それによって何かを失った気がしましたが、当時の3Dグラフィックスではそうせざるを得ませんでした。 『Soulstorm』では、レンダリングの質が向上したことで、元のアイデアに戻ることができました。

あなたがゲームを作り始めた頃は、3Dだけでなく音響面も過渡期を迎えていました。

『Abe's Oddysee』ではダイナミックな音響のアイデアを採用していましたが、当時のゲームではあまりなかったことです。 大抵のゲームは曲を流すだけでしたし、今でもそれは続いている。Oddworldの音響は、画面上のアクションに応じてダイナミックに変化していました。 何もない場所にいるときは軽快な音楽ですが、スリッグが目を覚ました時はドラムが入り、サウンドトラックがリアルタイムで構成されていく。後になってからそのありがたみに気づいたのですが、足音の一つ一つが正しくオーディオシンクされていて、画面の左右どちらにいるかによって正しくステレオパンニングされていました。私たちは、キャラクターが画面の中を動き回るアートワークのようなものではなく、この世界の一部であることを感じてもらいたかったので、こうしたアラインメントの問題はとても重要でした。
2010年頃、テリー・ギャレットという子供から、『Abe's Exoddus』のダイナミックサウンドに力を入れてくれてありがとう」という手紙をもらいました。 テリーは全盲でありながら、ゲームを完全クリアしたのです。 このサウンドデザインのおかげで、彼は300人のマドカンをすべて救うことができた。最初に聞いたときには不可能に思えたくらいです。 テリーは、エイブをゆっくりと歩かせたら、音の位置によって画面の幅が15グリッドであることを知ることができたのです。
障害者向けのゲームは字幕を付けたり、色覚異常を考慮したゲームがあるくらいで、実際には誰も作っていない。つまり、予算を割くほど重要視されていないという経済的な現実があります。
テリーの夢は宇宙飛行士になることで、大学では工学系の学生を目指していた。 そんな人を無視できるわけがない。  自分たちがやっていることが、目の不自由な人がゲームを楽しむために役立つとは考えていなかった。最高のゲームを作ろうとしていただけなのに。

常に(あなたのゲームの)デザインの意図や目的を理解されていると感じますか?

100%されてないとは言わないが、少なくともレヴューに関してはそうではありません。 『Oddysee』や『Exoddus』のレビューでは、「このゲームは2Dなのにこんなことができる」というような内容のものが多いです。 私たちは2Dであることを気にしていませんでした。 私たちは3Dを望んでいませんでした。 しかし、多くのレビューでは、2Dであるがゆえに『トゥームレイダー』に比べて見栄えがしないと言われました。 私たちは『トゥームレイダー』のグラフィックを参考にしましたが、中には3Dグラフィックとアートディレクションの違いが分からない人もいます。 レビュアーは、単に新しいものに夢中になっていますが、これはあまり良い状態とは言えない。 私はアートが出自であるため、彼らのこのような態度には少し腹が立ちましたが、今になって『Oddysee』や『Exoddus』をTomb Raiderの隣に置いて見てみると、それはまるで別物のようです。 『トゥームレイダー』は『Legacy Of Kain』と同じで、同時代の他のゲームよりも3D空間でのテクスチャーの使い方が上手かったとは思いますが。
当時の業界では、ゲーム機メーカーは3Dの普及にしか力を入れていませんでした。 2Dは過去のものとなり、どうでもよくなってしまったのです。ハード側の多くの人は、何よりも3Dのおかげでゲーム機が売れていると思っていたのです。

そうした状況下でOddwolrdシリーズを現実にするためにとった方法とは?

私たちはガレージで週末の時間を使ってデモを作ろうとしていた3人組ではないことを忘れてはいけない。 私たちは何百万ドルものベンチャー・キャピタルを募りました。彼らは良いゲームを見たいという心意気でお金を出しているのではなく、投資から利益を得たいだけなのです。 その資金でレンダリングされた映像からゲーム画面への移行を含むオープニングレベルのプロトタイプを作り、その成果に彼らは驚いた。 ピッチ(短いプレゼン)では、この画面遷移やラプチャーファームでのエイブの映像からそのままゲームへと移行し、キャラクターがプレイヤーに従うことにみなが驚いた。 性別問わず、人々はゲームの中で起こっていることに感情移入していました。

この点については、できるだけ多様な人々にアピールすることを積極的に考えていましたか?

ある意味、私たちは自分たちとは全く異なるゲームと競争していることを知っていた。異なるにもかかわらず、投資家たちに自分たちの方が良いと説得しなければなりませんでした。 私たちが行なった微妙な調整は、家に帰って家族に見せたくなるようなコンテンツを作ることで、ゲームビジネスの経営者たちにアピールすることでした。 テレビや映画の世界から来た私たちは、戦いの半分は政治的なものであり、人々に協力してもらうことだと知っていました。 自分が作っているコンテンツに好感を持ってもらえれば、協力してもらえるはずです。 ゲームがより過激になり、描かれている女性の胸が大きくなっているのが気に入らない、と幹部が言うのはよくあることでした。 それは、家に帰って家族に自慢できることではありませんでした。 会議では「ゲームが好きだ」と言っていたのに、お酒を飲みに行くと、業界が作っているゲームに対する本音を語ってくれるんですね。 ありがたいことに、『Oddysee』は重役たちが最後までプレイしてくれるゲームのひとつとなった。これは非常に稀なことでした。

Oddworldシリーズのアイデアは様々な登場人物の視点から描かれる5部作というものでしたね。エイブが主人公として確立したとわかった時、新たな主人公についても考えていたのでしょうか。

『Oddysee』以降、IPについて多くのことを学びました。当初は『スターウォーズ』やトールキンなどにインスパイアされたユニヴァースを作りたいと考えていましたが、実際にはそのようにはいきませんでした。 それをやろうとするならば、たくさんのキャラクターそれぞれの知的財産権を持つことになります。 『007』におけるジェームズ・ボンドのように確固たる一人のヒーローがいる作品と、マーベルのようにたくさんのヒーローがいる作品の違いはそこにあります。 ジェームズ・ボンドよりもマーベルの方が価値が高いのは、ヒーローやヴィランを描くキャラクターがたくさんいて、その分、ストーリーも多様性に富んでいるからです。 当初、私が考えていた方法は5部作には、それぞれ新しいキャラクターが登場してはエイブと一緒にプレイするというものでした。 エイブはもともと、すべてのゲームに登場する予定だったのです。 しかし、『Munch's Oddysee』に移ってみて、新たに知的財産権を得ようとする試みが本質的には穴だらけであることに気付きました。 パブリッシャーとしては、エイブだけでシリーズを展開してほしかったと思います。 『Munch』はXboxのローンチタイトルだったので、マイクロソフトの人たちにも気に入られ、評価も高かったのですが、基本的には新たな知的財産権だったので、得るまでの道のりは悪夢でしたよ。

察するに『Munch』は当時の最新のコンソールのためのシステムをめぐって、開発に困難をきたしたのではないですか。

『Munch』で新しいキャラクターが登場し、みんながそれを受け入れることで、良いゲームになると信じていました。 しかし、その道のりは簡単ではなく、新しいキャラクターは簡単には売れません。 技術的な面を話すと、『Munch』は新しいコンソールで発売されたため、人々を驚かせなければならなかった。 Xboxには素晴らしいレンダリング能力がありましたが、私たちが使用したエンジンはひどいものでした。 野心的になりすぎて、ゲームに多くのものを求めすぎた結果、私たちがやろうとしていたことの核心を傷つけてしまった。
『Munch』は当初考えられていたようなものにはならなかった。 はじめはPS2用に制作していたのですが、ゲームの制作費を予測することができないため嫌だった。 ソニーと久夛良木健は3Dチップセットの性能を引き出すことに注力し、デベロッパーのコミュニティに優れたツールを提供することはしませんでした。 おかしなことです。 それがどれほどの影響を与えるか、業界の多くの人々が理解していませんでした。 多くのデベロッパーが途中でビジネスから撤退したのは、彼らが製作費が500万ドルのゲームを作ろうと思っていたところを、システムを理解していくうえで発見と失敗を繰り返した結果、お金と時間がかかりすぎてしまったからです。 その点では最近のソニーは良くなってきています。マーク・サーニーにPS4のデザインをさせたことは、ゲーム開発の側面を理解していることの証明であり、いい判断だったと思う。

『Soulstorm』は5部作の第2作目『Exoddus』のリブートですね。 当初の構想を再構築するのは難しかったですか?

5部作のリブートによって、よりエイブにこだわることができたというのは良いことだと思います。  多くの人は、ゲームの第一印象をマーケティングによって決定されますから、それを混乱させないように私たちはメッセージをヒーローに集中させなければなりません。
ゲームを作っていると、どれだけ作るのが大変か、どれだけお金がかかるかということに謙虚になります。 ゲームの制作には何百万ドルもの費用がかかりますが、『Soulstorm』の成功により、次の3作までは続けられると思っています。
私たちはこれまで完璧ではありませんでしたが、Oddworldのブランドを築いてきたし、それだけのクオリティーも何とか保たれていると思います。 『Soulstorm』では、原点の核心に立ち返り、それを増幅させることで、新旧のファンに受け入れてもらえると思っています。

ゲーム開発にストレスはつきものですが、それに屈せずに個人的でいられたのはなぜでしょうか。

本当に大変です。 愚痴にならない程度に言いますが、私はまるで兵士の気分です。 やるかやられるかですね。 乗り越えて素晴らしい仕事をするか、途中であきらめるか。 若いうちは、常に激しい仕事をしているように感じられるかもしれませんが、何年も続けて仕事をしていると、睡眠不足や運動不足が問題になってきて、今はそれを実感しています。 現場は昔と同じように活気に満ちているから、そのバランスをどう取るかを考えなければなりません。 全力を尽くさずにどうやって事を成せるでしょうか。

同じような問題は、あなたの物語にも現れていると思いますか?

私自身の経験はそのような健康上の要因に深く根ざしており、それがエイブに影響を与えているのは確かだと思います。 彼がどのような人物で、何を経験し、それについてどのように感じているのか。 私はそれにとてもつながりを感じています。私は自分のことをエイブのように良い人間だとは思っていません。 彼はフロドのように純粋な心を持っていて、それが力になっています。 オッドワールドの多くのキャラクターには、こうしたさまざまな種類の強さが貫かれています。 別の種類の強さ、自己否定のようなのようなそれは、自分のために何かをすることであり、生き延びるために外に出ている限りは自分がどうあるべきかということに正しさはないと信じていました。 それは生き残りをかけた悲観的な性質ですが、一方でエイブはもっと楽観的な性質を持っています。 ストレンジャーは別の方向に向かっていて、その途中で無理矢理目を覚まさせるような危機に遭遇して目が覚めました。 エイブも目が覚めたが、ストレンジャーに比べて彼は常に自分の状況を楽観的に捉えていた。

もともと個性的なキャラクターを考えていたのか、それともエイブやストレンジャーのようなキャラクターは、それぞれの種族の性質を定義した後に生まれたのですか。

もともとは、個々のキャラクターがOddworldの中で最も複雑なものであるという考えでした。最も複雑な人物が主人公と敵役になり、サブキャラクターはやや複雑さに欠けることになります。しかし、種族という枠自体がますます重要になってきたので、種族のデザインに関するアイデアを検討し始めました。実在する種族の行動を参照することに焦点を当てました。 例えば、無知で野心的な資本家は、実際には何もコントロールできていないことに気づかない。これはグラッコンの行動の核となっています。
私たちは、作り上げた世界の中でそれぞれの種族が目標や行動を決定する指標、行動の原型となるメイクアップを求めていました。 例えば資本家は常に自分を正当化し、取締役会に答えなければなりませんが、取締役会は自分の問題に翻弄されている投資家のニーズに応えています。 そして、それぞれの原型の中に、影響力と権力の異なる層を作り、現実の種族のグループで起こることをより自然に反映させようとしました。 賢明でない資本家は、弁護士、銀行家、プライベート・エクイティ・グループを代表するキャラクターで構成されますが、それらはすべて同じシステムの一部です。 これは知的レベルでの話ですが、別のデザインにおいては、知的に興味深いものと、見た目に美しいものを融合させなければ、人々の興味を引くことはできません。 人々の心をつかめなければ、それはエネルギーの無駄遣いになり、実際に重要なことを伝えるためのつながりを作ることができない。

こうしたデザインへのアプローチにより、作れる生物の種が少なくなったのではないでしょうか?

非常に実用的なレベルで言えば、私たちはこれまで多くの新種を生み出すことができませんでした。それは、プリプロのための予算があまりなかったためで、すでに作ってしまったユニヴァースで仕事をしなければなりませんでした。
『Soulstorm』ではグラッコンを少し作り直すことができましたし、新しいキャラクターも登場しますが、過去のゲーム作りのようにデザイナーが何ヶ月もかけて単一のものに集中することはできませんでした。 結局のところ、Oddworldの作品は、集中的にテストしてくれる会社に持ち込んでは、やっていることが「ゲーマーが求めているもの」とぴったり一致すると結論づけられるようなものではないのです。 しかし、それは私たちにとっては良いことなんです。素晴らしい映画やゲームでそのようなフィードバックを得られなかったものは少なくないのだから。 私にとってエンターテインメントとは、ジョークのようなものです。良いジョークとは、まだ聞いたことのないジョークだけです。

ゲーム開発におけるビジネス面が創造を妨げることはありますか。

それはあります。 ゲームに限らず、エンターテインメントではよく見られることで、音楽でも同じことが言えます。 誰かが成功する前は、自分のスペースに留まっては音楽を作り、アルバムをどうやって作るかを考えることが許されています。 ファーストアルバムが成功すると、今度はツアーに出て、音楽を作ることよりも音楽のビジネスのために人生を費やすことになる。 2枚目のアルバムでは、1日12時間スタジオにいて音楽制作に奮闘することはなく、24時間をツアーに使う。 私は、これまでやってきたキャリアから、何が自分に要求されているかを知っています。 すべての店舗やチェーン店にゲームを先行販売したり、プレスツアーを行ったりする必要があるのです。 成功すればするほど、自分の好きなものを実際に作る時間は減っていきます。

独立採算制にしたことで、ビジネスに費やす時間を減らし、ゲーム制作に時間を割くことができるようになりましたか?

デジタル出版によって過去に作ったゲームを改めて売ることができるようになり、金融機関のパートナーがいなくてもお金を稼げるようにもなりました。 これはとてもユニークなことで、これができなかったら私たちはどうなっていたでしょうか。 Oddworldのゲームが作れなくなっていたのは確実でしょう。 昔と同じように、出版社や小売店との条件がどんどん悪くなり、同時にゲームの製作費も高くなっていく。 それがゲームビジネスの嫌なところでした。 システムが新しくなるたびに、ゲームを作るための値段が上がっていく。パブリッシャーにとってのリスクが高くなることは、開発者にとって報酬が低くなることを意味し、仕事量だって増える。だからPS2やPS3の時代には企業の買収が盛んに行われました。 マイクロソフトがどれだけの企業をこれまでに買収したかを振り返ってみればいい。 買収された企業のビジョンがその後も維持されるのであれば、両者にとって素晴らしいことだと思います。 なぜそれだけ多くの企業が買収されることを望むのでしょうか? それが業界の状況を示しています。 そこから逃れるためには自己資金が必要ですが、それだけ努力やリスク、孤独が大きいのです。 自己資金ならば誰にも頼れずに自分の力で成功を目指していく。逆に言えば、生きるも死ぬも自分で決断できるということです。

自己資本によって、作りたいものを作るだけの資金が得られましたか?

お金を十分に持っていると思う時なんてありますか? 金銭的プレッシャーは、ストレスの理由としては世界レベルのものに数えられるでしょう。 グローバルに分析すると、現代人はかつてないほどストレスを感じており、高い不安を感じています。 人生の中での自分の地位を常に向上させたいという願望がありますが、一方で、まだ目標を達成していないときに続けていくための燃料となるのがスタミナです。 目標は金銭的なものかもしれませんが、できれば自分の好きなことで達成したいものです。 先に経済的な成功を収めていれば、多くのことが得られると思います。失敗しても立ち直ることができますし、次に何をしたいのかを考えるためのサポートを得ることができます。 また、目標を達成することで野心が薄れてしまうという意味では、よりガツガツするようになってしまう。 もし私がもっと早く経済的に成功していたら、仕事量は減っていたと思いますが、より多くのサポートを受ける余裕があったでしょう。 もっと経済的に成功していたら、私はこんなに一生懸命働いていないと思います。 でも、それは自分の義務やプレッシャーに左右されるので、すべて相対的なものです。

目標の達成から脱却することが、Soulstormのデザイン方針にどのような影響を与えたのでしょうか?

『Soulstorm』をスタートさせたときの約束事の一つに、もっとシリアスで激しいものにするというのがありました。 だからといって、笑いを誘うユーモアや皮肉をなくしたいわけではありませんが、より激しく、より暗く、エイブの旅はそれとは対照的に重いものになっています......おならを例に挙げましょう。 私はいつもおなら(を使うアイデア)が嫌いでした。 しかし、チームはそれをとても気に入っていたし、プレスにも好印象だったので、採用しました。エイブが目指していたものからは少し離れてしまったような気がしますが。 私たちは常に予算の範囲を超えて、理想を達成しようとしていました。 今ではゲームをちょっとだけ先出ししたら、ファンからは「涙したい」という声が届けられます。エイブのことを深く感じ、感情移入したいというのが本音のようです。

Oddwolrdシリーズで探求されているテーマについては、最初に始めたときと同じ情熱を持っていますか?

幸いなことに、その財産の種は、私が生涯にわたって関心を持ち続ける価値があると考えるものに深く根ざしています。 環境主義的なトレンドに乗って、そのうち重要だと思わなくなるようなものではありません。 これらは私が人生で深く悩んだことであり、永遠にインスピレーションを受け続けることができる深い井戸なのです。 エイブは本当に深い種からスタートしたので、結果的に、彼を何かに変えてしまう必要はないのです。 彼は『ジャック・アンド・ダクスター』ではありませんからね。 マーケティングチームによって形作られたキャラクターというのもありますが、エイブは明らかにそうではありません。 彼はそれに反対するものなのです。 これは、シリアスなテーマを扱うことができるキャラクターでありながら、テーマよりもマーケティングに集中することで弱体化しないようにするための意図的なものです。 私たちのテーマは一般的にかなりハードコアなものですが、時には浅いところでしか触れられないこともあります。 深みはあるのですが、それを画面上で明確に表現できないことがあるのです。 深みがあるからこそ、物語上の問題を解決することができるのです。キャラクターには複数の層があり、それを利用してリアルで面白い場面を書くことができます。 エイブ(が出る作品)には、子供の頃は表面的な部分が好きだったけど、時間が経って世の中がどんなものかを知った後に振り返ってみると、そこにはもっとたくさんのものがあったと気づくような深みがあります。

昔からのファンが成長していく中で、「Oddworld」のゲームの感情的な重みを高めることに積極的に取り組めましたか?

シリーズはもっと重い内容にしたいと思っていました。最初は安定していると思っていた世界が、だんだんうまくいかなくなってきて、最終的には地獄のようになってしまう。何も知らない男が小さな泡の中で生活していて、自分の周りで世界が崩壊し始める前にその日を乗り切ろうとしているところから始まる物語です。

正直に言うと、この基本的な流れは世界中のほとんどの人に当てはまると思います。子供の頃は保護されていて、深刻な心配事は少ないですが、大人になると物事を引き受けて責任を負わなければならなくなります。 エイブが軽い気持ちで旅を始めるように意図されていましたが、5部作が進むにつれ、彼は自分自身をどんどん深く劣悪な状況へと追い込んでいきます。これは私たち人間が進歩し、その代償としての気候変動やフラッキング、環境への責任感の欠如が地球に影響を与えることで、世界自体が抱える問題が増加することにも繋がっている。 しかし、エイブはそのような問題を無邪気な目で見て基本的な善悪の判断をすることで、変わりゆく世界の中でも己の目標を見失わないようにしているのです。

エイブはマドカン族全体をどのように反映しているのか、あるいは反映していないのか?

これまでは非常に浅い段階に限り、マドカン族全体へと反映されていました。彼らが奴隷であったり、時にはユーモラスになることは非常に一面的な要素です。
グラッコンやヴィッカーズたちについて話したように、マドカン族というアイデアは、人間の営みにある、一種の理想を体現することです。マドカンはOddworldにおける人間らしさを表現しています。彼らはゲームの中で、自分たちの起源を見失った状態からスタートします。自分たちの歴史に関して誤った情報を与えられてきた人々である。基本的に、彼らは自分たちを劣等種と見なしており、ほとんどが自分たちの人生の状況を受け入れ、どうすることもできないと考えている。繰り返しになりますが、マドカンはプロレタリアート階級です。奴隷や捕虜収容所などにいる人々は、抑圧された状況下では互いに等しい立場なので、同じ目標に向かって努力していると感じやすいものです。しかし、いざ自由を手に入れ、自分たちのイデオロギーや運動、政治陣営を形成し始めた時、グループは機能不全に陥り始める。自分にとって都合の悪いことが起きているときには他者にも平等性を感じとるのは人間の常ですが、いざ自分の人生をコントロールできるようになったときには、互いに言い争いをしたり、違う方向に進んだり、相手を出し抜こうとしたりするものです。エイブはそのうち、同属たちから自分のことを無政府主義者、資本主義者、社会主義者、さらにはエコ・テロリストのように見なされる、黒羊的な存在になるでしょう。こうした亀裂から、反乱や裏切りといったものが生まれます。脱出するために協力するのは簡単ですが、その後どうするかは難しい。これからの5部作の続きでは、それを反映させていきたいと考えています。

映画や美術に携わってきた経験から、ゲームクリエイターが自分のアイデアを表現する上で、クリエイティブな選択肢に限界を感じたことはありませんか?

キャラクターにどれだけ深みを持たせられるかという点で、妥協を感じることがあります。しかし、ゲームの限界を理解している人はまだ少ないと思います。気になるキャラクターを登場させることでゲームをより豊かなものにしようとしていますが、ゲームであることを忘れてはいけないので、何かを妥協しなければならないとしたら、それはゲーム性ではありません。それを見失ってしまうと、素敵なストーリーがあっても、プレイするというプロセスが悪くなり。誰も体験してくれなくなる。私がゲームと映画について話したことのある大物監督たちも含めて、多くの映画人はゲーム制作に伴う妥協点を理解していないと思います。彼らの中にはゲームに挑戦した人もいましたが、成功させた人はいません。それはゲームというメディアと、それと映画との違いを理解していないからだと思います。ゲームは映画のように、何かが完成するまでリテイクを重ねられるようなメディアではありません。ゲームはチーム競技であり、作家としてどれだけ優れているかではなく、どれだけ妥協を極められるかが重要になります。このことは過小評価されるべきではない。

これまでにどんな妥協が?

オリジナルのゲームではマドカンは重荷を背負った獣のようでした。遠くまで追いかけることができず、ナビゲーション能力も低かった。エイブはマドカンを助けることに専念していましたが、マドカン自身は能力のないレミングで、死なせないように必死にならねばならなかった。もし、彼らがあなたと一緒に行動できたらどうでしょう?「待って」や「ついてきて」以上の関わり方があったら?彼らの存在がプレイヤーの力になるとしたら?やりたいことはたくさんありますが、今の時代はハード的な制約や、ゲームを人々の手に渡すまでにどれだけの時間とお金が必要か、などの現実に従わなければなりません。

このような制約の現実を知り、いかに回避するかを考えるのはどれほど厳しい課題だったのでしょうか。

残酷なものでした。Oddworldを設立する前にも私はすでに7年ほどコンピュータ・アニメーションの世界でプロとして活動していました。コンピュータ・グラフィックスは技術に左右されるものなので、特に初期の頃は難しかったですね。私は映画業界の人間よりもゲームに対する理解があり、チップの容量やそれに伴う制約をすべて理解しているつもりでした。しかし、実際にはこんなに難しいとは思いませんでした。
多くのゲーム会社の創業者が同じことを言っていました。パブリッシャーや財務担当者を管理したシェリーの功績も大きいですね。時々、当初できると思っていたことと実際に達成できたこととを比較しては、自分が妄想的であったと思うことがあります。私の意見では、世の中は愚者が沢山いますが、ゲーム業界では自分がスーパースターだと思っているような個性的な人はあまりいないのです。大成功を収めている人もいますが、たいていはそこに到達するために本当に努力しています。デザイナーにはいくつかのタイプがあります。会社を設立したデザイナーは、チームを集めてゲームを作り、マーケティングと販売を全面的に担当しなければなりませんでした。 一方、大きな会社に所属して有名になったデザイナーもいます。そういう人たちは、「自分は絶対に失敗しない」と思いがちですが、たいていは会社に支えられていた人たちなんです。そのような環境では、デザイナーはデザインだけに集中することができ、財務担当者、経営者、マーケティング担当者を同時に務める必要はありません。にもかかわらず、一人ですべてを達成できると思ってしまう人が出てきてしまう。

Oddworldは長年にわたってあなたの創造とプロフェッショナルとしての活動の中心となってきましたが、そのことを負担に感じたことはありますか?

あえて言うなら、それが原因で落ち込んだこともありました。Oddworldユニヴァースを過去のものにして、デジタル配信によって私たちが大々的に活動できるようになるまで待ち続けようと思っていた時期もあった。それでもOddworldのIPを売らなかったのは、このユニヴァースはまだ終わっておらず、そこで表現できることがまだ残っているという確信が常にあったからです。その可能性を実現するためには、そのインスピレーションと意欲がどこから来ているのかを知る必要があったのですが、『Munch』を完成させた後の自分には、その自信がなかったのです。
私の場合、何かを最高のものにしたいという意欲は、ストーリー、一緒に仕事をする人たち、進化する技術、そしてグループで作業をしている期間、それらのすべてが一体となって現れることから得られます。私がOddworldを改めて続けようと思った決定的な瞬間は、GDC2013のステージでした。ソニーが主催するインディーゲームのショーケースに、自分たちが招待されたことが信じられなかったんです。ステージに立ったとき、観客の反応は圧倒的にポジティブなもので、まるで魔法のようでした。発表したのは『Oddysee』のリブート『New Tasty』だけだったのですが、その時の反応には本当に感動しました。とはいえGDCに来ているのはほとんどが業界人であり、全員がゲームを気に入って拍手をしていたわけではないと思います。嬉しく思えたのは、Oddworld Inhabitantsがこの業界で生き残るために必要なスタミナをまだ持っているとわかったからでしょう。私たちは業界から手を引いたかのように見えましたが、独立して自分たちのルーツや当初の目標に忠実でいられるようになりました。そこから得た教訓は、私たちはゲームを作れる限りゲーム作りをやめないことと、私たちのそうした姿勢を応援してくれる人がいるということです。

戻る